久保雅文・・・それをかわりにやっつけてくれたり、言葉で皮肉ってくれたりすると快哉を受けるという、そういうパロディ構図も・・・
それは昔の三木鶏郎さんがやっていたことだけど、「日曜娯楽版」の精神みたいなのを私は少し感ずるんですよね。
峰田治夫・・・昔だと、やっぱり落首とか、そういうのは命がけなわけですよね。
捕まったら首を切られるような覚悟でざれ歌を出すわけでしょう。
そういうところからみると、今の当てこすりとか、皮肉とかというのは、非常に強い相手がぼやけていますから、そんなにまともにがんがん行くものではない、ですよ。
久保雅文・・・全然違いますよね。
峰田治夫・・・ただ、輝いているものとか、非常に脚光を浴びているものを笑いものにしていくということはあるんじゃないでしょうかね。
笑いの根本というのは落差ですから、ハンディキャップを笑っていくという精神は笑いの基本形ですから。
一番手っ取り早いのは、体の不自由なこととか、ぐあい悪いようなところをやればウケるに決まっているわけですね。
それは放送上、制約があってできませんから、違うところに求めていかざるを得ないんですけどね。
久保雅文・・・そうですね。
久保雅文・・・その人がまた起き上がって何かするということでまた拍手したり笑われたりする。
そこへ焦点を当てていったというか、これがまた一つ新しいとおっしゃっていましたね。
それもなるほどなと思いましたけどね。
峰田治夫・・・ドラマでもそうなんですね。
久保雅文・・・スクエアなドラマよりちょっと外れたところに主人公を置くというのがテレビ的だとよく言われるようになって、それも少しまた崩れてはきていますけどね。
だから、最初におっしゃった、外れ者とか、アウトローとか、そういうもので見ていくと、実際、スクエアでないところの人たちを取り上げているというところがありますね。
峰田治夫・・・ええ、ええ。
久保雅文・・・それと、毒ということがあったけど、反権力、反権威というか、強いところまで行かなくとも、おちょくってやろうとおっしゃったけど・・・
そういった笑い、やっぱり優越感に立ちながら、客がなおかつどこかにいる、おれたちがかなわない偉い人を何とかしたいと思っているところがあるでしょう。
久保雅文・・・視聴者の方がえらい、賢い、センスがある。
だから、テレビの番組を見て優越感に浸りながら笑っているんだ。
だから、客の優越感をくすぐりながら、なおかつそれを裏切らなきゃいけない、そういうところが」番難しいですね。
峰田治夫・・・それで視聴者の気がついていない着想なり発想なりを出したときに拍手するんですよね。
そういうものには無条件で拍手するでしょう。
久保雅文・・・アメリカ的なコンセンサスに、ちょっと違うけど、似ていますね。
峰田治夫・・・似てきているんです。
久保雅文・・・それと、私は、おっしゃっていることでなるほどと思ったのは、世の中にはずっこけやろうとか、だめ人間というか、こけやろうがいますね。
そういう人を笑うということで許すというか、そういうことがお笑いの番組に随分影響してきた。
つまり、ばか、どじと言ってたたいたり殴ったりしますよね。
女の人や、何もあんなことをしなくてもいいと道徳的な古い考えに立つ人は言っていたけど。
そうじゃなくて、このアホと言いながら、その人がそうされることによってまた認められているというか、役割を与えられているというんですかね。
峰田治夫・・・完全に裏切りますよ。
こう来るんだろうなと思うと、そこにどんでんがあって、非常に意外な結末というのを意図的にやっていますよね。
ですから、そこに落ちつくんじゃないかと思います。
要するに笑いというアクションは、私の言い方では、テレビに対する一つの参加なんですよ。
久保雅文・・・なるほど、笑うということがアクションなんだ。
峰田治夫・・・前は、向こうがやってくれるのを見て笑わせていただくという態度だったんだけど、今はそうじゃなくて、こっちから行って、笑う場所を自分で探す。
そうすると、5人いると、笑う場所が全部違うということがあり得るわけですね。
久保雅文・・・だから、オーディエンス・オリエンテッド、視聴者が主体になってきた。
昔は放送というのは送りっ放しで、つくる人がつくった番組をさあごらんくださいと提供していて、それをありがたがってかどうかしらんけど。
そうですかと視聴者が見ていた時代があって、それがしばらく長かっだような気がしますね。
ある時期からか視聴者と対等になって、今はむしろ逆転している。
峰田治夫・・・それから音感なんていいわけですよね。
何が出ても大して驚かないよというような人なわけでしょう。
これを想定したときに、どうやったら笑わすことができるかといったら、やっぱりお客を欺かなくちゃいけないわけですね。
久保雅文・・・意表をついていかなくちゃいけないということになってきますね。
峰田治夫・・・そうすると、今までの笑いだと、例えばネタが3本しかない漫才師がとっかえひっかえ出たとしても、もしそのファンだったら、ビデオに撮ってすり切れるまで見ちゃうわけでしょう。
だから、すぐ古くなっちゃうわけね。
久保雅文・・・先を読まれちゃうわけね。
峰田治夫・・・ここでこう言うそというと言うわけでしょう。
そういうふうに変わってきちゃった。
ですから、とことん出方がどう行くかわかりませんよという、つまり、その意外性をいつも考えています。
ドリフの志村けんさんと加藤茶さんとか生き残ってやっていますけれども、彼らはもちろん今でもオチをつくりますよ。
だけど、オチがいかに人の予想を裏切るかということを徹底してやってきたから、今でもあのパターンが生きていると思うんですね。
久保雅文・・・ふんふん。
久保雅文・・・アメリカではそういうふうに、コンセンサスの一番のキーワードだということを聞いたことがあるんですね。
日本人はなかなか笑わない民族であると戦前は言われていて、戦後やっと少しずつ変わってはきたけど、マイナーなものだった。
人前で笑うのはけしからんとか、お笑いの芸人は何となく芝居をする人よりも下だとか、そういうランクづけがありましたよね。
それが変わってきたというのは、漫才ブームもありますけれども、もっと社会的なジャーナリスティックな時代の流れとか、何かありますかね。
峰田さんも大きな火付け人の一人なんだろうけれども、何か節目というのはありましたかね。
峰田治夫・・・昔は笑いというのは、仕事に疲れた人がひとときの慰安を求めてそこで笑うというようなイメージが強かったと思うんですけれども。
久保雅文・・・リフレッシュ。
峰田治夫・・・その一環なんだと言うけど、今はそうじゃなくて、テレビの場合は見ている人が優位に立っているんですよ。
見る側が優位なのね。
つまり、やっているやつよりも学歴が高いわけだしね。
久保雅文・・・うんうん。
峰田治夫・・・それは一般的に言うと、笑いの番組でもドラマをつくる方でも音楽番組をやる人でも、基本形はテレビというメディアの中で生きるんだったら、ジャーナリスティックじゃないとだめでしょうね。
少なくともそういう目を持っているかどうかということは非常に大事だと思いますね。
久保雅文・・・アメリカではミュージカル映画が盛んですね。
それと、とにかく政治家の演説にしても、普通のパーティーにしても、ジョークで笑わせるというのを物すごく大事にする国民性がある。
これはつまり、異なった民族がたくさん集まっている国家ですよね。
だから、習慣も違えば言葉も違う、いろんなフィーリングも違うわけですね。
その際、唯一コンセンサスというか、全部で相手がわかった、相手を理解したというのは、あるいは映画という動きである、アクションである、音楽である・・・
それからもう一つ笑いであるというので、アメリカ人はほかの民族よりもことさら笑いというものを大事なものと考えている。
峰田治夫・・・たけちゃんは目線がいいんです。
タモリさんは耳がいい。
世の中のノイズを聞き分ける耳がすごくいいんです。
久保雅文・・・おもしろい言い方ですね。
そうすると、収拾整理する方と、自分で目標を見つけて行くタイプとね。
峰田さんは何がいいんですかね。
峰田治夫・・・私は両方かなあ。(笑)
久保雅文・・・目と耳と鼻もいいのかもしれませんね。
峰田治夫・・・鼻はいいと思いますね。
私は嫌なにおいというのに敏感なんですよ。
ガス漏れだとか、物が腐っているにおいとか異常に敏感なんですよ。
久保雅文・・・嗅覚人間ですかね。
峰田治夫・・・例えば時代のにおいとか風とかに対してすごく敏感ですね。
久保雅文・・・それは貴重な才能ですね。
峰田治夫・・・ん?ってなりますよね。
峰田治夫・・・それはすごいですよね。
タモリさんの方はどっちかというとビジュアルなもの、要するにビデオを見たり、音楽を聞いたりという割と若い人と同じ行動パターンですけど、たけちゃんの方はそれよりも何よりも本を読む。
久保雅文・・・ちょっとテレビ画面からは想像できないんだけれども。
そんなに暇もなそうなんだけど、寸暇を惜しんでやっているんでしょうね。
峰田治夫・・・そのかわり、タモリさんは新聞は一般紙を一面からダーッと丹念に読むタイプですね。
スポーツ紙なんかどうでもいいと思っているみたいですね。
久保雅文・・・そういう意味では、本当に時代の最先端の風をどこか敏感に受け取ろうという、それは意識するしないにかかわらず、そういう行動をとって準備しているわけですね。
そういうものを受けとめなきゃいけない、受けとめて出ていかなきゃならないというのがテレビの生の怖さというか、スリルと言うんでしょうかね。
峰田治夫・・・たけちゃんは目がいいかな。
峰田治夫・・・いつも不安のうちに始めて、やっているプロセスの中で大丈夫だと安心して爆発していくみたいなところがありますね。
久保雅文・・・その瞬間芸にある種、命をかけていると言うとオーバーかもしれませんが、それに近いものがあるんですね。
その場合、峰田さんは役割としては、新しいものに挑戦させるとき、仕掛けというか、サジェスチョンというか、二人に対して何かあるんですか。
それぞれ人が違えば違う方法で説くのかもしれないけれども・・・。
峰田治夫・・・泣くんでしょうね。
泣いてお願いするしかないでしょう(笑)。情にすがる。
久保雅文・・・でも、二人とも新しいもの好きでもありますでしょう。
峰田治夫・・・物すごいですよ、そういう目でね。
久保雅文・・・いつも自分の芸というもの、古い芸というものを信じないというか、信じまいとするならば、やっぱり常に動いていないと、自転車操業じゃないけど、絶えず動いて追っかけていないといけないわけですからね。
それと、二人ともよく勉強するという・・・。